今天要來介紹5千円紙鈔上的人物 津田梅子!
為了日本女性的地位而奮鬥的幕府口譯家 津田梅子的故事,你不知道不行喔!
今日は5000円札の人物である「津田梅子」を紹介したいと思います。
津田梅子は日本女性の地位の向上に奮闘した人物として、とても名高いです。
1・生まれ
幕臣で農学者である津田仙の娘として生まれ、幼いころから父が蘭学と英語を学び、江戸幕府の通訳をしていたのをずっと見ていました。
そして、明治時代に入ると、政府が女子留学生を募集しているの知った父・津田仙は、まだ6歳だった津田梅子を応募させました。この時の津田梅子は5人の女子留学生の中で最年少でした。
2・アメリカへ留学
アメリカで小学校を卒業し、女学校にも進み、英語のほかに、フランス語、ラテン語、数学、物理学、天文学などを学んで、合計で11年もの間アメリカで暮らしていたそうです。
次第に日本語よりも英語のほうが自然に出てくるようになったと言われています。
また、8歳のときには、キリスト教の洗礼も受けていたそうです。
3・津田梅子の性格
日本へ帰国後、日本ではまだ男尊女卑の考えが根強かったときに、津田梅子はすごくショックを受けていました。一人の人間として扱われないことが非常に違和感を持ったそうです。
そして、津田梅子に何度か縁談も持ち込まれていましたが、「結婚ではなく仕事がしたい」と突っぱねていたそうです。
4・再びアメリカへ
24歳のときに、もう一度アメリカへ留学しました。
アメリカのペンシルベニア州のブリンマー大学で生物学を専攻し、書いた論文は優秀な成績を収めていたほどでした。
5・女性の地位向上のために
35歳になった津田梅子は身分の垣根を超えた女性のための学校「女子英学塾」を設立しました。女子英学塾で卒業した人たちは、当時はまだ珍しい英語教員として全国で活躍しました。
また、女子英学塾は1948年に「津田塾大学」と改称し、今も女子大として数多くの卒業生を輩出しています。
以上、女性のために奮闘してきた「津田梅子」の紹介でした。
津田梅子がいなかったら、日本は未だに男尊女卑の時代なのかもしれませんね。
リピートタイム
1・男尊女卑:男尊女卑
2・縁談を持ちかける:提親
3・改称する:改稱
4・垣根:隔閡
5・根強い:根深蒂固