常山趙子龍是誰?百戰百勝的趙聖帝君:EP192

趙聖帝君的成神傳說|三國名將趙雲如何化身道教護法大神

みなさん、こんにちは!OK日文へようこそ。OK先生です。

今回(こんかい)日本(にほん)(はなし)ではなく、道教(どうきょう)神様(かみさま)についてのお(はなし)です。

宗教(しゅうきょう)(はなし)になるので、(すこ)しつまらないかもしれませんが、普段(ふだん)みなさんが勉強(べんきょう)している日本語(にほんご)とは(まった)(ちが)日本語(にほんご)勉強(べんきょう)になるので、かなりおすすめです。

では(はじ)めましょう。

趙聖帝君(ちょうせいていくん)は、みんなから「子龍爺(しりょうや)」とか「南宮輔佐真君(なんきゅうほさしんくん)」とも()ばれています。
道教(どうきょう)では、とても大事(だいじ)護法(ごほう)神様(かみさま)のひとりで、雷部三十六元帥(らいぶさんじゅうろくげんすい)のひとりでもあるんです。
その役目(やくめ)は、妖怪(ようかい)魔物(まもの)退治(たいじ)して、(ただ)しい(みち)(まも)り、病気(びょうき)(わざわ)いを()(はら)って、人々(ひとびと)()らしと家族(かぞく)平和(へいわ)(まも)ることなんですよ。

本名(ほんみょう)趙雲(ちょううん)(あざな)子龍(しりょう)(しりゅう)、常山(じょうざん)()まれです。
伝説(でんせつ)によると、()八尺(はちしゃく)もあって、(ふと)(まゆ)(おお)きな()、とても(いさ)ましい姿(すがた)をしていたそうです。
普段(ふだん)(しろ)(ほう)(ぎん)(よろい)をまとい、()には「霸王槍(はくおうそう)」を()ち、()っていた(うま)()(しろ)名馬(めいば)塞龍雀(さいりゅうじゃく)」でした。
(やり)さばきはまさに神業(かみわざ)で、さらに自分(じぶん)で「七探蛇盤槍(しちたんだばんそう)」という独自(どくじ)槍術(そうじゅつ)まで()()し、その一撃(いちげき)戦場(せんじょう)(ふる)()がらせたといわれています。

1.   凡間修行(ぼんかんしゅぎょう)

三国(さんごく)時代(じだい)()(なか)(みだ)れて、人々(ひとびと)()らしはとても(くる)しかったんです。
趙聖帝君(ちょうせいていくん)本来(ほんらい)天界(てんかい)戦神(いくさがみ)で、どんな(たたか)いにも()けない存在(そんざい)でした。
玉帝(ぎょくてい)から人間界(にんげんかい)()りるよう(めい)じられ、その目的(もくてき)(ふた)つ。
ひとつは人間(にんげん)世界(せかい)戦乱(せんらん)(しず)めること、もうひとつは凡間(ぼんかん)修行(しゅぎょう)()み、(こころ)(きた)えることでした。
そしてやはり、地上(ちじょう)()りても(かれ)百戦百勝(ひゃくせんひゃくしょう)。その(つよ)さから「長勝(ちょうしょう)」という名声(めいせい)()たのです。

趙雲(ちょううん)()どものころからとても(かしこ)く、勉強(べんきょう)ができるだけじゃなく、(よわ)(ひと)(たす)けることも()きでした。
(わか)(ころ)には常山(じょうざん)道士(どうし)左慈(さじ)弟子(でし)となって道法(どうほう)(まな)んだんです。左慈(さじ)門下(もんか)には、のちに「四大天師(しだいてんし)」のひとりになる葛玄(かくげん)もいました。
趙雲(ちょううん)理解力(りかいりょく)抜群(ばつぐん)で、(いち)()けば(じゅう)()るほどの(さと)りの(はや)さ。道家(どうか)思想(しそう)は、(かれ)人柄(ひとがら)()(かた)基盤(きばん)になっていきました。

でも、()(なか)戦乱続(せんらんつづ)き。趙雲(ちょううん)は「ただ修行(しゅぎょう)するだけではだめだ、()(まな)んでこそ本当(ほんとう)人々(ひとびと)(すく)える」と()づきます。
そこで名高(なだか)(やり)達人(たつじん)童淵(どうえん)弟子入(でしい)りしました。するとわずか一年(いちねん)奥義(おうぎ)()につけ、さらに自分(じぶん)だけの槍術(そうじゅつ)まで()()したんです。

2・乱世に身を投ずる

(やま)()りたあと、趙雲(ちょううん)はまず義兵(ぎへい)(ひき)いて公孫瓚(こうそんさん)()()せました。
その()劉備(りゅうび)出会(であ)い、ふたりはすぐに意気投合(いきとうごう)します。
最初(さいしょ)のころ趙雲(ちょううん)は、(おも)劉備(りゅうび)家族(かぞく)(まも)役目(やくめ)で、目立(めだ)った戦功(せんこう)はありませんでした。
けれども「長坂坡(ちょうはんは)(たたか)い」での勇敢(ゆうかん)(はたら)きが、ついに天下(てんか)(ふる)わせることになるのです。

その(とき)劉備(りゅうび)(りゅうび)は曹操(そうそう)(そうそう)に(やぶ)れて追撃(ついげき)され、妻子(さいし)たちは敵陣(てきじん)(なか)()()りになってしまいました。
趙雲(ちょううん)(ちょううん)は主君(しゅくん)(つま)甘夫人(かんふじん)(かんふじん)と(おさな)劉禅(りゅうぜん)(りゅうぜん)を(すく)()すため、ただひとり(うま)()り、(やり)()敵陣(てきじん)(つっ)()みます。
なんと七度(ななど)敵陣(てきじん)(はい)り、七度(ななど)突破(とっぱ)し、(てき)(しょう)五十人以上(ごじゅうにんいじょう)()()せて、ついに主君(しゅくん)家族(かぞく)無事(ぶじ)()(もど)したのです。
この(たたか)いで(しめ)した忠義(ちゅうぎ)勇敢(ゆうかん)さ、そして圧倒的(あっとうてき)武芸(ぶげい)趙雲(ちょううん)地位(ちい)決定(けってい)づけ、のちに(かれ)牙門将軍(がもんしょうぐん)(がもんしょうぐん)に(にん)ぜられることとなりました。

また、漢中(かんちゅう)(かんちゅう)の(たたか)いのときのことです。
趙雲(ちょううん)(ちょううん)は黄忠(こうちゅう)(こうちゅう)を(すく)()すよう(めい)じられましたが、敵軍(てきぐん)はふたりをまとめて殲滅(せんめつ)しようと(たくら)んでいました。
そこで趙雲(ちょううん)(たく)みに疑兵(ぎへい)(けい)(もち)い、曹軍(そうぐん)に「伏兵(ふくへい)(ひそ)んでいるのでは」と(おも)わせたのです。
曹軍(そうぐん)(おお)いに(あわ)て、あっという()総崩(そうくず)れとなって敗走(はいそう)しました。
この出来事(できごと)から、趙雲(ちょううん)は「一身是胆(いっしんぜいたん))」――全身(ぜんしん)勇気(ゆうき)そのもの、という()をさらに(ひろ)めることとなったのです。

3・生前と死後

趙雲(ちょううん)(ちょううん)は一生(いっしょう)(つう)じて慎重(しんちょう)忠義(ちゅうぎ)(あつ)(ひと)でした。
劉備(りゅうび)(りゅうび)が間違(まちが)った判断(はんだん)をした(とき)でも、ためらわずに正直(しょうじき)(いさ)めることができたのです。

そのため一時(いちじ)冷遇(れいぐう)されましたが、のちに劉禅(りゅうぜん)(りゅうぜん)が(あと)()ぐと(ふたた)重用(じゅうよう)され、(おお)くの北伐(ほくばつ)(ほくばつ)に参加(さんか)しました。
そしてなんと、十二回(じゅうにかい)もの(おお)きな(たたか)いに()ながら、一度(いちど)(やぶ)れることなく、しかも(きず)()ったことさえなかったのです。

臨終(りんじゅう)のときでさえ、趙雲(ちょううん)蜀漢(しょくかん)()(すえ)心配(しんぱい)し、「北伐(ほくばつ)!」という二文字(ふたもじ)遺言(ゆいごん)として(のこ)しました。
その忠義(ちゅうぎ)をたたえ、劉禅(りゅうぜん)(りゅうぜん)は(かれ)を「永昌亭侯(えいしょうていこう)(えいしょうていこう)」に追封(ついほう)します。
こうして趙雲(ちょううん)人間界(にんげんかい)での使命(しめい)()たし()えると天界(てんかい)(もど)り、玉帝(ぎょくてい)(ぎょくてい)から正式(せいしき)神位(しんい)(さず)けられ、仙班(せんはん)(れっ)することとなりました。
そして後世(こうせい)人々(ひとびと)に「趙聖帝君(ちょうせいていくん)(ちょうせいていくん)」として(うやま)われる存在(そんざい)になったのです。

4・時代を超えた顕聖(けんせい)

(とう)時代(じだい)朝廷(ちょうてい)武侯祠(ぶこうじ)(ぶこうし)を()て、歴代(れきだい)功臣(こうしん)たちを(まつ)りました。その(なか)には趙雲(ちょううん)(ちょううん)の()もありました。
そして南宋(なんそう)(ころ)になると、趙雲(ちょううん)何度(なんど)姿(すがた)(あらわ)し、(くに)(まも)人々(ひとびと)(すく)ったと(つた)えられています。こうした出来事(できごと)から、(かれ)(まつ)(びょう)各地(かくち)()てられるようになったのです。

(しん)時代(じだい)福建(ふっけん)のある(むら)不思議(ふしぎ)出来事(できごと)()こりました。
村人(むらびと)川辺(かわべ)(さかな)()っていると、(なが)れてきたクスノキの木片(もくへん)に、なんと(しろ)アリが「常山趙子龍(じょうざんちょうしりゅう)」という五文字(ごもじ)(きざ)()していたのです。
村人(むらびと)たちはこれはただ(ごと)ではない、きっと趙聖帝君(ちょうせいていくん)顕現(けんげん)(ちが)いないと(かんが)え、(ちい)さな(ほこら)()てて(まつ)りました。

しばらくすると、(そと)からやってきた一人(ひとり)人物(じんぶつ)が「趙聖帝君(ちょうせいていくん)(ゆめ)を見た。そのお()げで、この()神像(しんぞう)()りに()た」と(かた)ったのです。村人(むらびと)たちは(おどろ)き、ますます信仰(しんこう)(ふか)めていきました。
やがて参拝(さんぱい)する人々(ひとびと)()え、ついには巨額(きょがく)寄進(きしん)によって大規模(だいきぼ)な「永昌宮(えいしょうきゅう)(えいしょうきゅう)」が建立(こんりゅう)されました。

それ以来(いらい)趙聖帝君(ちょうせいていくん)神威(しんい)全国(ぜんこく)(ひろ)まり、(いま)では各地(かくち)(びょう)()てられ、人々(ひとびと)から(あつ)信仰(しんこう)されているのです。

5・まとめ

趙聖帝君(ちょうせいていくん)(ちょうせいていくん)は、ただの三国時代(さんごくじだい)名将(めいしょう)趙子龍(ちょうしりゅう)(ちょうしりゅう)ではありません。
道教(どうきょう)においては、(よう)()退(しりぞ)け、人々(ひとびと)(まも)(おお)いなる神様(かみさま)でもあるのです。

(かれ)物語(ものがたり)は「歴史上(れきしじょう)名将(めいしょう)」と「天界(てんかい)神将(しんしょう)」という(ふた)つの(かお)をあわせ()っています。
人間界(にんげんかい)では、忠義(ちゅうぎ)にあふれ、百戦百勝(ひゃくせんひゃくしょう)の「長勝将軍(ちょうしょうしょうぐん)」として()られ、天界(てんかい)では、衆生(しゅじょう)(まも)り、平安(へいあん)をもたらす帝君(ていくん)(ていくん)として(うやま)われてきました。

そして今日(こんにち)(いた)るまで、中国大陸(ちゅうごくたいりく)台湾(たいわん)、さらには東南(とうなん)アジアに(いた)るまで、
(おお)くの人々(ひとびと)趙聖帝君(ちょうせいていくん)(まつ)(びょう)(おとず)れ、平安(へいあん)財運(ざいうん)家族(かぞく)庇護(ひご)(いの)(つづ)けているのです。

リピートタイム

1・意気投合(いきとうごう):一拍即合、很合得來

2・庇護(ひご):庇護、保護

3・(いさ)ましい:勇敢的、英勇的、威武的

4・百戦百勝(ひゃくせんひゃくしょう):百戰百勝

5・乱世(らんせ):亂世

參考資料:http://www.lukyam.com/god/dp_chiuwan.htm

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