
趙聖帝君的成神傳說|三國名將趙雲如何化身道教護法大神
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今回は日本の話ではなく、道教の神様についてのお話です。
宗教の話になるので、少しつまらないかもしれませんが、普段みなさんが勉強している日本語とは全く違う日本語が勉強になるので、かなりおすすめです。
では始めましょう。
本次所要介紹的,並非關於日本的內容,而是有關於道教神明的探討。
由於涉及宗教層面的議題,或許聽來稍顯嚴肅甚至乏味,然而其中所使用的日語表達方式,與各位平日所學習的日語大不相同,對於學習而言將別具價值,因此極為值得推薦。
那麼,我們現在來開始吧。
趙聖帝君は、みんなから「子龍爺」とか「南宮輔佐真君」とも呼ばれています。
道教では、とても大事な護法の神様のひとりで、雷部三十六元帥のひとりでもあるんです。
その役目は、妖怪や魔物を退治して、正しい道を守り、病気や災いを追い払って、人々の暮らしと家族を平和に守ることなんですよ。
趙聖帝君(ちょうせいていくん),在人們之間亦常被尊稱為「子龍爺」或「南宮輔佐真君」。
在道教體系中,祂是極為重要的護法神明之一,同時也是雷部三十六元帥之一。
其職責在於降妖伏魔、捍衛正道,驅除病疫與災厄,以庇佑黎民百姓安居樂業,守護家宅與人間的平安。
本名は趙雲、字は子龍(しりゅう)、常山の生まれです。
伝説によると、背は八尺もあって、太い眉に大きな目、とても勇ましい姿をしていたそうです。
普段は白い袍に銀の鎧をまとい、手には「霸王槍」を持ち、乗っていた馬は真っ白な名馬「塞龍雀」でした。
槍さばきはまさに神業で、さらに自分で「七探蛇盤槍」という独自の槍術まで編み出し、その一撃で戦場を震え上がらせたといわれています。
本名趙雲,字子龍,生於常山。
傳說中,祂身高八尺,劍眉大眼,儀容威武不凡,氣宇軒昂。
平日身著白袍銀甲,手持「霸王槍」,所乘坐的乃是一匹通體雪白的駿馬「塞龍雀」。
其槍法堪稱神技,更自創「七探蛇盤槍」一式,槍出如龍,威震沙場,令敵軍聞風喪膽。
1. 凡間修行(ぼんかんしゅぎょう)
三国の時代、世の中は乱れて、人々の暮らしはとても苦しかったんです。
趙聖帝君は本来、天界の戦神で、どんな戦いにも負けない存在でした。
玉帝から人間界に降りるよう命じられ、その目的は二つ。
ひとつは人間の世界の戦乱を鎮めること、もうひとつは凡間で修行を積み、心を鍛えることでした。
そしてやはり、地上に降りても彼は百戦百勝。その強さから「長勝」という名声を得たのです。
三國時期,天下動盪不安,百姓生活極為艱困。
趙聖帝君原本乃天界戰神,戰無不勝,所向披靡。
奉玉帝旨意下凡人間,其使命有二:
其一,平定人世間的戰亂;其二,在凡間修行歷練,磨鍊道心。
果然,祂降臨塵世之後,依舊百戰百勝,因而獲得「長勝」之盛名。
趙雲は子どものころからとても賢く、勉強ができるだけじゃなく、弱い人を助けることも好きでした。
若い頃には常山の道士・左慈の弟子となって道法を学んだんです。左慈の門下には、のちに「四大天師」のひとりになる葛玄もいました。
趙雲は理解力が抜群で、一を聞けば十を知るほどの悟りの早さ。道家の思想は、彼の人柄や生き方の基盤になっていきました。
趙雲自幼聰慧伶俐,不僅勤於讀書,更樂於扶助弱小。
年少時,曾拜常山道士左慈為師,研習道法。左慈門下弟子之中,尚有後來被尊為「四大天師」之一的葛玄。
趙雲悟性極高,聰敏絕倫,可謂聞一知十;而道家思想亦逐漸成為其品格與行事的根基。
でも、世の中は戦乱続き。趙雲は「ただ修行するだけではだめだ、武を学んでこそ本当に人々を救える」と気づきます。
そこで名高い槍の達人・童淵に弟子入りしました。するとわずか一年で奥義を身につけ、さらに自分だけの槍術まで生み出したんです。
然而,世局連年戰亂不休。趙雲深知「僅憑修道尚不足以救世,唯有兼修武藝,方能真正保護蒼生」。
於是,他拜入名聞遐邇的槍術大師童淵門下為徒。僅僅一年光景,便已融會貫通其奧義,甚至自創一套獨門槍法。
2・乱世に身を投ずる
山を下りたあと、趙雲はまず義兵を率いて公孫瓚に身を寄せました。
その後、劉備と出会い、ふたりはすぐに意気投合します。
最初のころ趙雲は、主に劉備の家族を守る役目で、目立った戦功はありませんでした。
けれども「長坂坡の戦い」での勇敢な働きが、ついに天下を震わせることになるのです。
下山之後,趙雲率領義兵,首先投效於公孫瓚。
其後與劉備相遇,二人一見如故,情誼甚篤。
初時,趙雲主要肩負守護劉備家眷之責,因而並無顯赫戰功。
然而,在「長阪坡之戰」中,他的英勇表現終於震動天下。
その時、劉備(りゅうび)は曹操(そうそう)に敗れて追撃され、妻子たちは敵陣の中に散り散りになってしまいました。
趙雲(ちょううん)は主君の妻・甘夫人(かんふじん)と幼い劉禅(りゅうぜん)を救い出すため、ただひとり馬に乗り、槍を手に敵陣へ突っ込みます。
なんと七度も敵陣に入り、七度も突破し、敵の将を五十人以上も斬り伏せて、ついに主君の家族を無事に連れ戻したのです。
この戦いで示した忠義と勇敢さ、そして圧倒的な武芸が趙雲の地位を決定づけ、のちに彼は牙門将軍(がもんしょうぐん)に任ぜられることとなりました。
當時劉備兵敗於曹操,且遭其追擊,妻兒亦在混亂之中分散於敵陣之內。
趙雲為拯救主母甘夫人與年幼的劉禪,毅然孤身策馬,手持長槍,直入重圍。
他竟七度衝入敵陣,又七度突圍,斬殺敵將五十餘人,終於將主公一家安然救回。
此戰所展現出的忠義與勇敢,以及壓倒性的武藝,奠定了趙雲的地位,並使其後來獲封為牙門將軍。
また、漢中(かんちゅう)の戦いのときのことです。
趙雲(ちょううん)は黄忠(こうちゅう)を救い出すよう命じられましたが、敵軍はふたりをまとめて殲滅しようと企んでいました。
そこで趙雲は巧みに疑兵の計を用い、曹軍に「伏兵が潜んでいるのでは」と思わせたのです。
曹軍は大いに慌て、あっという間に総崩れとなって敗走しました。
この出来事から、趙雲は「一身是胆)」――全身が勇気そのもの、という名をさらに広めることとなったのです。
又有一次,發生於漢中之戰。
趙雲奉命前往營救黃忠,然而敵軍卻意圖將二人一併殲滅。
此時,趙雲靈機一動,巧用疑兵之計,使曹軍誤以為四周伏兵環伺。
曹軍大驚失措,頓時潰不成軍,倉皇敗退。
自此一役,趙雲「一身是膽」之美名更廣為流傳,為人所敬仰。
3・生前と死後
趙雲(ちょううん)は一生を通じて慎重で忠義に厚い人でした。
劉備(りゅうび)が間違った判断をした時でも、ためらわずに正直に諫めることができたのです。
そのため一時は冷遇されましたが、のちに劉禅(りゅうぜん)が後を継ぐと再び重用され、多くの北伐(ほくばつ)に参加しました。
そしてなんと、十二回もの大きな戦いに出ながら、一度も敗れることなく、しかも傷を負ったことさえなかったのです。
臨終のときでさえ、趙雲は蜀漢の行く末を心配し、「北伐!」という二文字を遺言として残しました。
その忠義をたたえ、劉禅(りゅうぜん)は彼を「永昌亭侯(えいしょうていこう)」に追封します。
こうして趙雲は人間界での使命を果たし終えると天界へ戻り、玉帝(ぎょくてい)から正式に神位を授けられ、仙班に列することとなりました。
そして後世の人々に「趙聖帝君(ちょうせいていくん)」として敬われる存在になったのです。
趙雲一生謹慎穩重,忠義深厚。
即便劉備作出錯誤的判斷,他亦能毫不退縮,直言規諫。
因此,他一度遭受冷落;然而在劉禪繼承大位之後,趙雲再度獲得重用,參與多次北伐戰役。令人稱奇的是,在十二場大規模戰役之中,他從未嘗敗績,甚至不曾受傷。
臨終之時,趙雲仍心繫蜀漢國運,留下「北伐!」二字作為遺言。
劉禪為彰顯其忠義,追封趙雲為「永昌亭侯」。
自此,趙雲在人世間的使命圓滿,回歸天界,蒙玉帝正式敕封,位列仙班。
自此之後,後世百姓皆敬仰祂為「趙聖帝君」。
4・時代を超えた顕聖
唐の時代、朝廷は武侯祠(ぶこうし)を建て、歴代の功臣たちを祀りました。その中には趙雲(ちょううん)の名もありました。
そして南宋の頃になると、趙雲は何度も姿を現し、国を守り人々を救ったと伝えられています。こうした出来事から、彼を祀る廟が各地で建てられるようになったのです。
唐代時,朝廷興建武侯祠,用以祭祀歷代功臣,其中亦列有趙雲之名。
及至南宋年間,相傳趙雲多次顯聖現身,保國安民,拯救黎庶。
因緣於此,各地遂紛紛建立廟宇,以祀奉於祂。
清の時代、福建のある村で不思議な出来事が起こりました。
村人が川辺で魚を捕っていると、流れてきたクスノキの木片に、なんと白アリが「常山趙子龍」という五文字を刻み出していたのです。
村人たちはこれはただ事ではない、きっと趙聖帝君の顕現に違いないと考え、小さな祠を建てて祀りました。
清代時,福建一村莊曾發生一件奇事。
村民在溪邊捕魚時,忽見一塊樟木順流漂來,而木上竟被白蟻啃蝕出「常山趙子龍」五字。
村民們認為此事非同尋常,必是趙聖帝君顯靈,於是建起一座小祠加以奉祀。
しばらくすると、外からやってきた一人の人物が「趙聖帝君の夢を見た。そのお告げで、この地に神像を彫りに来た」と語ったのです。村人たちは驚き、ますます信仰を深めていきました。
やがて参拝する人々が増え、ついには巨額の寄進によって大規模な「永昌宮(えいしょうきゅう)」が建立されました。
それ以来、趙聖帝君の神威は全国に広まり、今では各地に廟が建てられ、人々から篤く信仰されているのです。
不久之後,有一名外來之人來到此村,自稱夢見趙聖帝君,奉其神示前來此地雕刻神像。
村民聞之大為震驚,遂愈加篤信,信仰之心日益堅定。
隨著前來參拜的人數逐漸增多,最終更因巨額捐資而建起宏偉壯麗的「永昌宮」。
自此以來,趙聖帝君之神威廣布全國,各地紛紛興建廟宇奉祀,祂亦自此受萬民誠心敬仰。
5・まとめ
趙聖帝君(ちょうせいていくん)は、ただの三国時代の名将・趙子龍(ちょうしりゅう)ではありません。
道教においては、妖魔を退け、人々を守る大いなる神様でもあるのです。
彼の物語は「歴史上の名将」と「天界の神将」という二つの顔をあわせ持っています。
人間界では、忠義にあふれ、百戦百勝の「長勝将軍」として知られ、天界では、衆生を守り、平安をもたらす帝君(ていくん)として敬われてきました。
そして今日に至るまで、中国大陸や台湾、さらには東南アジアに至るまで、
多くの人々が趙聖帝君を祀る廟を訪れ、平安や財運、家族の庇護を祈り続けているのです。
趙聖帝君並非僅是三國時代的名將趙子龍。
於道教之中,祂更是降妖伏魔、護佑眾生的重要神祇。
其事蹟兼具雙重面向:一為「歷史上的名將」,一為「天界中的神將」。
在人間界,祂以忠義無雙、百戰百勝而被尊稱為「長勝將軍」;
在天界,則以守護蒼生、賜予平安之「帝君」而廣受敬仰。
直至今日,無論中國大陸、台灣,抑或東南亞各地,
皆有無數信眾前往祭祀趙聖帝君之廟宇,虔誠祈求平安、財運與闔家庇佑。
リピートタイム
1・意気投合:一拍即合、很合得來
2・庇護:庇護、保護
3・勇ましい:勇敢的、英勇的、威武的
4・百戦百勝:百戰百勝
5・乱世:亂世
參考資料:http://www.lukyam.com/god/dp_chiuwan.htm
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