EP177【繩文時代如何戀愛(結合) 編】

こんにちは、「OK日文」へようこそ!

今日(きょう)は「縄文時代(じょうもんじだい)恋愛事情(れんあいじじょう)」についてお(はなし)したいと(おも)います。

前回(ぜんかい)は「平安時代(へいあんじだい)貴族(きぞく)恋愛事情(れんあいじじょう)」についてお(はな)しましたが、すごく反響(はんきょう)()かったので、今日(きょう)平安時代(へいあんじだい)とは(まった)(ちが)う「縄文時代(じょうもんじだい)恋愛事情(れんあいじじょう)」について紹介(しょうかい)します!


1・縄文時代(じょうもんじだい)ってどんな時代(じだい)

まずは簡単(かんたん)におさらいします。

縄文時代(じょうもんじだい)は、(いま)から(やく)1(まん)3千年前(ぜんねんまえ)〜2,300年前(ねんまえ)くらいまで(つづ)き、日本(にほん)先史時代(せんしじだい)のひとつです。

人々(ひとびと)竪穴式住居(たてあなしきじゅうきょ)()てた定住生活(ていじゅうせいかつ)(はじ)まり、土器(どき)やアクセサリーも(つく)られていました。

この時代(じだい)人々(ひとびと)狩猟(しゅりょう)採集(さいしゅう)漁労(ぎょろう)をして()らしていて、(ちい)さな集落(しゅうらく)中心(ちゅうしん)に、家族(かぞく)仲間(なかま)たちと協力(きょうりょく)して()きていました。

また、遺跡(いせき)からは妊婦(にんぷ)のような(かたち)をした土偶(どぐう)男性(だんせい)生殖器(せいしょくき)のようなものが数多(かずおお)発掘(はっくつ)されています。

そこで、縄文時代(じょうもんじだい)男女(だんじょ)恋愛事情(れんあいじじょう)とは一体(いったい)どんなものだったのか一緒(いっしょ)()ていきましょう。

2・出会(であ)

当時(とうじ)血縁者(けつえんしゃ)中心(ちゅうしん)に20(にん)ぐらいの人々(ひとびと)(あつ)まって集落(しゅうらく)結成(けっせい)していました。

しかし、(おな)集落内(しゅうらくない)での男女交際(だんじょこうさい)はタブーとされていました。

では、男女(だんじょ)はどうやって出会(であ)って恋愛(れんあい)して(いとな)んでいたのか。

縄文時代(じょうもんじだい)は、(じつ)活発(かっぱつ)交易(こうえき)(おこな)われていた時期(じき)でもあり、集落(しゅうらく)男性(だんせい)たちは(ふね)()って()本各地(ぽんかくち)()()していたことが確認(かくにん)されています。

こうした交易(こうえき)()では、(おとず)れた(おとこ)たちが(べつ)集落(しゅうらく)住民(じゅうみん)(むか)()れられ、そこで男女(だんじょ)出会(であ)って(むす)びついていたと(かんが)えられています。

また、(ねん)数回(すうかい)複数(ふくすう)集落(しゅうらく)(あつ)まり、豊作(ほうさく)祈願(きがん)する(まつ)りが(ひら)かれることもあり、こうした()でも男女(だんじょ)出会(であ)機会(きかい)があったとされています。

3・当時(とうじ)縄文人(じょうもんじん)

当時(とうじ)世界(せかい)でも最先端(さいせんたん)文化(ぶんか)技術(ぎじゅつ)(ほこ)っていた縄文人(じょうもんじん)は、非常(ひじょう)におしゃれに敏感(びんかん)で、現代(げんだい)若者(わかもの)たちと同様(どうよう)にアクセサリーや髪型(かみがた)にこだわりを()っていたとされています。。

縄文時代(じょうもんじだい)では、男女(だんじょ)(まつ)りなどで出会(であ)い、現代(げんだい)のデートのような段階(だんかい)()ることなく、その()のうちに関係(かんけい)(むす)んでいたと(つた)えられています。

また、当時(とうじ)縄文人(じょうもんじん)は、男性(だんせい)(やく)157センチ、女性(じょせい)(やく)147センチと小柄(こがら)でしたが、その筋肉量(きんにくりょう)非常(ひじょう)豊富(ほうふ)で、体力(たいりょく)現代人(げんだいじん)とは(こと)なり、一度関係(いちどかんけい)(はじ)まると、一晩中続(ひとばんじゅうつづ)けることもあったと()われています。

現代(げんだい)では一対一(いったいいち)一般的(いっぱんてき)ですが、縄文時代(じょうもんじだい)には()()(かこ)みながら、3(にん)以上(いじょう)関係(かんけい)(おこな)われることも(おお)かったとされています。実際(じっさい)に、縄文時代(じょうもんじだい)にはそのような集団(しゅうだん)での関係(かんけい)常識的(じょうしきてき)だったという(せつ)もあります。

また、(のち)に「大江戸(おおえど)48()」として()られる技術(ぎじゅつ)が、縄文時代(じょうもんじだい)にすでに存在(そんざい)していたのではないかとも()われています。

縄文人(じょうもんじん)強靭(きょうじん)体力(たいりょく)精神力(せいしんりょく)()ち、性行為(せいこうい)においても「頂点(ちょうてん)瞬間(しゅんかん)」を自在(じざい)(あやつ)能力(のうりょく)(ゆう)していたとされ、何度(なんど)でも子作(こづく)りができるとも()われています。

(せい)奔放(ほんぽう)一面(いちめん)()縄文人(じょうもんじん)ですが、出産後(しゅっさんご)すぐに(いのち)()とすことが(おお)かったため、より(おお)くの子孫(しそん)(のこ)すために本能的(ほんのうてき)関係(かんけい)()っていたと(かんが)えられます。

3・(いとな)みの仕方(しかた)

当時(とうじ)は、書物(しょもつ)映像(えいぞう)存在(そんざい)しなかったため、若者(わかもの)たちはどのように性行為(せいこうい)(まな)んだのでしょうか。それは、成人(せいじん)()人々(ひとびと)(おこな)っているのを()(まな)ぶという(かたち)でした。

縄文時代(じょうもんじだい)には、現代(げんだい)のように()かりがなく、(よる)になると野生動物(やせいどうぶつ)(あらわ)れることがあり、危険(きけん)(つね)(ともな)っていたため、昼間(ひるま)(あか)るい時間(じかん)野外(やがい)(まじ)わる(ひと)(おお)かったと()われています。子供(こども)若者(わかもの)は、実際(じっさい)(おこな)われている行為(こうい)()にし、それを自然(しぜん)(まな)んでいたとされています。

当時(とうじ)人々(ひとびと)にとって、性行為(せいこうい)日常生活(にちじょうせいかつ)一部(いちぶ)であり、(とく)()ずべきことではなく、行為(こうい)をしている人々(ひとびと)羞恥心(しゅうちしん)(かん)じることはなく、昼間(ひるま)でも人前(ひとまえ)(まじ)わることが普通(ふつう)でした。

また、現代(げんだい)のようにベッドや布団(ふとん)があったわけではなく、()(まじ)わると(からだ)負担(ふたん)がかかるため、基本的(きほんてき)には()ったまま(おこな)われていたと()われています。これは、野生動物(やせいどうぶつ)がいつ(あらわ)れるかわからないため、すぐに()げられるように()ったまま(おこな)うのが一般的(いっぱんてき)だったからです。

4・子育(こそだ)

縄文人(じょうもんじん)(せい)(たい)して自由(じゆう)で、複数(ふくすう)人々(ひとびと)関係(かんけい)()つことが一般的(いっぱんてき)だったため、妊娠(にんしん)しても父親(ちちおや)(だれ)特定(とくてい)できないということがよくありました。

この時代(じだい)では、複数(ふくすう)(ひと)関係(かんけい)()つこと自体(じたい)普通(ふつう)であり、(あか)ちゃんの父親(ちちおや)特定(とくてい)する必要(ひつよう)はありませんでした。

そのため、子育(こそだ)ては夫婦単位(ふうふたんい)(おこな)うのではなく、集落全体(しゅうらくぜんたい)(おこな)われていたと(かんが)えられます。

男性(だんせい)子孫(しそん)(のこ)役割(やくわり)として(とら)えられていた可能性(かのうせい)(たか)く、縄文時代(じょうもんじだい)土器(どき)には女性(じょせい)姿(すがた)をしたものが(おお)()つかっていますが、男性(だんせい)姿(すがた)()した土器(どき)はほとんどなく、男性(だんせい)生殖器(せいしょくき)のみが発見(はっけん)されていることがその証拠(しょうこ)となっています。

また、縄文時代(じょうもんじだい)社会(しゃかい)平等主義的(びょうどうしゅぎてき)であり、集落(しゅうらく)のものはみんなで()()うことが基本(きほん)でした。

そのため、若者(わかもの)(はたら)き、子供(こども)年配(ねんぱい)人々(ひとびと)(あず)けることがよく(おこな)われていたとされています。

5・子作(こづく)りの努力(どりょく)

縄文人(じょうもんじん)栄養状態(えいようじょうたい)()くなかったため、(からだ)発育(はついく)(おそ)く、女性(じょせい)初産(ういざん)はおおよそ18歳頃(さいごろ)一般的(いっぱんてき)でした。また、平均寿命(へいきんじゅみょう)(やく)31(さい)で、一生(いっしょう)のうちに出産(しゅっさん)する()(ども)(かず)は4~6(にん)ほどだったとされています。

そのため、女性(じょせい)初潮(しょちょう)(むか)えてから、(やく)2(ねん)ごとに出産(しゅっさん)しないと集落(しゅうらく)存続(そんぞく)できないという状況(じょうきょう)だったので、縄文人(じょうもんじん)子孫(しそん)途絶(とだ)えさせないために、(つね)子作(こづく)りに(ちから)()れていたと(かんが)えられます。

縄文時代(じょうもんじだい)は、狩猟(しゅりょう)によって獲得(かくとく)した(にく)をみんなで()()い、(あらそ)いもなく、貧富(ひんぷ)()もない時代(じだい)でした。そのため、()(もの)だけでなく、パートナーも共有(きょうゆう)することが普通(ふつう)だったと()われています。

縄文時代(じょうもんじだい)恋愛(れんあい)(まじ)わり、子作(こづく)りに(たい)する努力(どりょく)は、現代(げんだい)では(かんが)えられないほどのものでした。縄文人(じょうもんじん)たちは(いのち)()けて子孫(しそん)(のこ)(つづ)けてくれたおかげで、(いま)日本人(にほんじん)存在(そんざい)していると()っても過言(かごん)ではないでしょう。

リピートタイム:

1・(まじ)わる:結合

2・()()う:分享

3・妊娠(にんしん):懷孕

4・(いのち)()とす:喪命

5・奔放(ほんぽう):放縱、自由自在、不受拘束


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