EP168【江戶時代的刺青刑罰 編】

日本(にほん)江戸(えど)時代(じだい)には、罪人(ざいにん)(たい)する処罰(しょばつ)(ひと)つとして「()(ずみ)(けい)」がありました。

それは、罪人(ざいにん)(からだ)()(だっ)ったところに文字(もじ)模様(もよう)(きざ)み、犯罪歴(はんざいれき)(しめ)すとともに、社会(しゃかい)(てき)制裁(せいさい)(あた)えました。

()(ずみ)(けい)には、罪人(ざいにん)識別(しきべつ)再犯(さいはん)防止(ぼうし)目的(もくてき)実施(じっし)されました。

そして、()(ずみ)(けい)()けた(もの)社会(しゃかい)(てき)差別(さべつ)され、ほとんどの仕事(しごと)()くことができませんでした。

江戸(えど)時代(じだい)では、地域(ちいき)ごとに(こと)なる()(ずみ)のデザインがあり、「どこで」「(なん)(わる)さをしたか」を一目(ひとめ)でわかるように()(ずみ)(けい)(ほどこ)されていました。

たとえば、「江戸(えど)」では、(ひたい)に「(あく)」と()(ずみ)()れられると、それは「窃盗(せっとう)などの犯罪者(はんざいしゃ)」という意味(いみ)で、「長崎(ながさき)」では、(ひたい)に「(いぬ)」を()れられると、「(いぬ)以下(いか)存在(そんざい)」として(さげす)まれ、「仙台(せんだい)」では(うで)に「×」を()れられると「窃盗罪(せっとうざい)」、「会津(あいづ)」では(うで)に「(にゅう)」を入れられると「窃盗(せっとう)詐欺(さぎ)」、「岩手(いわて)」では(ひたい)に「()(にん)」を()れられると「重罪(じゅうざい)」、「岡山(おかやま)」では(ひたい)に「(だい)」を()れられると「重大(じゅうだい)犯罪(はんざい)(もの)」、「新潟(にいがた)」では(うで)に「(いち)」、「()」、「(さん)」が()られ、窃盗(せっとう)回数(かいすう)(おう)じて数字(すうじ)()える仕組(しく)みになっています。

一度(いちど)()(ずみ)(けい)()けると、一生(いっしょう)()えないため、再犯(さいはん)有無(うむ)(かか)わらず社会(しゃかい)(てき)差別(さべつ)()(つづ)けました。

また、()(ずみ)(けい)執行(しっこう)方法(ほうほう)ですが、()部位(ぶい)(ひたい)(うで)()(こう)など()()部位(ぶい)()られることが(おお)く、(とく)(ひたい)()(ずみ)(かく)しづらいので、より(おも)重罰(じゅうばつ)とされていました。

小刀(こがたな)(はり)使(つか)って皮膚(ひふ)()り、そこに(すみ)()れたので、(きず)()えても()(ずみ)()えないようにしていたそうです。

そして、使用(しよう)された(すみ)には鉄分(てつぶん)(おお)(ふく)まれており、傷口(きずぐち)化膿(かのう)したり、感染症(かんせんしょう)死亡(しぼう)する(もの)もいたと()われています。

江戸(えど)時代(じだい)後期(こうき)になると、()(ずみ)(けい)()けた(もの)が「()()り」の()(ずみ)を入れ、装飾(そうしょく)として()(ずみ)活用(かつよう)する文化(ぶんか)()まれました。

これが「()(もの)()()り)」として発展(はってん)し、(のち)のヤクザ文化(ぶんか)へと(つな)がる所以(ゆえん)です。

一方(いっぽう)で、犯罪者(はんざいしゃ)以外(いがい)にも火消(ひけ)しや職人(しょくにん)(あいだ)でも()(ずみ)流行(りゅうこう)し、江戸(えど)のファッション文化(ぶんか)一部(いちぶ)になったと()われています。

明治(めいじ)時代(じだい)になると、()(ずみ)(けい)正式(せいしき)廃止(はいし)され、「刑罰(けいばつ)として()(ずみ)」から「装飾(そうしょく)としての()(ずみ)文化(ぶんか)」へと、日本(にほん)()(ずみ)意味(いみ)時代(じだい)とともに変化(へんか)していったと()えるでしょう。


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